うしのモー子さんよもやま話

日々の喜怒哀楽を語るブログ

ていねいに暮らしてみたい

最近、youtubeのお勧めに料理動画と生活動画がちょいちょい紛れてきて、それを見るたびに丁寧な暮らしがしてみたいな、と思ったりします。

どちらも無理をしないでかつ自分や家族の暮らしに寄り添って、丁寧に生きているのが透けて見えるからです。

 

丁寧な生活をしてると感じる動画

youtu.be

 

子供が幼い時は丁寧に暮らそう、と結構頑張ってやってきました。

丁寧に暮らしたことがないので、多少無理をしていたところはありますが、できる範囲で少しずつ丁寧に暮らしていたら、何となく家庭内の雰囲気が良かったのを覚えています。

途中からそんなことを言ってられなくなって、どんどん気持ちが荒んでいったのですが。

気持ちが荒むと生活が荒れますね。

今そのツケを払っているところです。

 

改めて、丁寧に暮らすってどういうことでしょうか?

 

私にとって丁寧に暮らすっていうのは、毎日ここで生きていること、物が持てること、食べていけること、水が使えること、電気が使えること、火が使えること、そういった当たり前のことに感謝しながら生きることです。

 

特に寝ることと食べることは人間の三大欲求にも数えられる、とても大事なことです。

寝具に気を使ってみたり、調味料一つ、食材一つに気を使う人が最近増えているように感じられるのは、私がそういうことに興味があって再び目を向け始めたせいかもしれませんし、少しずつ時代が大量消費から離れつつある証拠かもしれません。

 

寝具(特にまくら)も気になりますが、私は食べることが大好きなので(笑)、やはり食べ物に目が向いてしまいます。

おいしそうなお菓子とか、有名コーヒーチェーン店の新作とか、何かしらヘッドラインニュースに上がってくると、ついつい「食べたいなぁ~、飲みたいなぁ~」欲求が高まってしまうくらいです。

 

それと同時に、家では調味料や油に気を使いながら、食材にも気を配りたいところですが、毎日消費するものが一番お金を削るところでもあるので、それらを無視して購入しがちです。

醤油やみりんを製造元を選んで買ったり、調味料を厳選して調合したり。

ほんとはそういうことをしたいんですけどね。

 

自分が子供だったときはだしの素とかまだまだ高くて、しかもさほど美味しくないってこともあって、母親が毎日鰹節を削っていましたし、鶏がらスープの素なんて中華街かデパートまでいかないと売ってないとか、調味料そのものの数が今よりもずっと少なくて、でも母親の創意工夫でおいしいものをたくさん食べさせてもらってました。

今思えば感謝しかありません。

 

でもいまの生活でそれができるかといわれると、ちょっと厳しいかな、という感じです。

何しろ料理する時間が取れません。

取ろうと思えば取れるので、やらないだけと言われてしまえばそれまでですが、料理の下ごしらえとかをしていると、自分がしたいこと(youtube見たり、本を読んだり、エンタメ情報を追っかけたり)ができなくなるのでつらいです。

そろそろエンタメ情報追いかけるのはやめないと、と考えるのですが、長年の習慣ってそう簡単にやめられないですね。気づくとヘッドライン追いかけてる。怖い。

 

youtubeもエンタメもそろそろ切り捨てないといけないですね。

料理動画とかありがたいんですが、作らないもの見てもしょうがないですね。

時々眺めるだけで満足するのが一番だと思います。

 

こうやって書き出してみると、案外丁寧に暮らすって難しいですね~(^^;;