うしのモー子さんよもやま話

日々の喜怒哀楽を語るブログ

子供とけんかしました

タイトル通りですが。

水曜日に1年ぶりのディズニーパスポートをゲットし、昨日はディズニー用に(というわけでもありませんが)新調するカバンを買いに行く予定でした。

 

我が家は母子でそれぞれ荷物を持っていくスタイルで、私が大きめの荷物を持っていく係、子供がチケットなどの細かいものを管理する係、と大まかに分かれています。

 

今回のディズニー参戦は、子供が「映え」を意識した小さめのカバンを持っていきたいというのと、上着や水分などの大きめな荷物と、貴重品は同じカバンじゃないほうがいいよね、ということで、わりと最近よく見かける小ぶりのカバン+トートバッグスタイルにしよう、となりました。

 

で、やはり映えを意識するとなるとブランドバッグがいいよね、と子供本人の中で思ったらしく、好きなバッグブランドで検索をしたらしいのですが・・・軒並み1~2万円するカバンしかなく、ちょっとイライラしていたようです。

 

あとここ数日、本人もよくわからないイライラに襲われていて、どうにかしたいけどどうにもできない負の連鎖で苦しんでいたとのことです。

 

で、昨日の朝になって、カバンどこに買いに行くかで揉めて、そこからけんかに発展しました。

 

まぁ、よく聞いたら「なんだよそれ」って言いたくなるようなことが子供の根底にあって、私自身が子供に感じていた違和感の一つでもありました。

 

私は正直、相当無遠慮な部類に入る人間です。

気も利かないし、他人の機嫌を取ることが面倒な人間です。

ところが、子供は小さい時から何かと遠慮して生きてきて、言いたいことも言わず、私の普段の態度に文句を言いたくなっても自分が我慢すればいい、と考えていたそうです。

 

え、家族に対して、まして親に対して子供ってもっと無遠慮な態度で生きてるもんじゃないの?

 

と思ってしまいました。

遠慮してるといっても、自分の持ち物は家中どこにでも広げるし、そこそこ親を顎で使う場面もあるのですが、決定権を与えると遠慮する癖が昔からあり、違和感を感じる原因の一つでした。

自分の意見を持ってないわけじゃなく、相手が都合がいいほうに合わせる、そこに自分が特に魅力を感じなくても、苦痛であっても、相手が喜ぶならそれでいい、という考えがあるようです。

どこの修行僧でしょうか?

 

「無遠慮に生きればいいじゃん」

無遠慮に生きて、それでお互いぶつかることがあったり、白けることがあったり、物別れに終わることがあったとしても、そういった経験をしていかないと、自分の意見の出し方を学べないし、傷ついた時の対処法だって学べないと思います。

和を乱すのがイヤだとか、大人が上からモノを言ってくるのを跳ねのけるのがイヤだとか、そういうごちゃごちゃとしたことを考えちゃう必要はないよ、と。

まずは無遠慮に自己主張して、相手がどんな風に返してくるかで細かいところを調節して、どうしてもだめなら今回はその主張をいったん下げる、通ったら頑張る、それでいいと思っています。

 

まして親子関係で言いたいことが言えないってどんな家庭?

血がつながっていようがいまいが、お互いは別個の意思を持つ人間なんですから、言わなきゃ分かり合えないですよね。

共同体として長く過ごしているから、何となく言わんとしていることがわかる、ってのはありますが、本当はそこだけを切り取って「分かり合えた家族」になったらだめだと思います。

何があろうが(DVとかはモラハラとかはだめですよ!)家族という共同体として生活する時間が神瀬の大半を占めるのですから、まず無遠慮に生きて、意見や感情のチューニングの仕方を学んで、学校生活や部活動、バイトなどで理不尽な思いをしてきながら家の中でまたチューニングをして、自分が生きやすいところ、自分の軸となるものを作っていけばいいんですよ。

 

少なくとも私はそうやって幼いころからチューニングをしてきました。この年齢にしては若干こうドラマチックな家庭で育ったほうなので(笑)、無遠慮で気の利かない人間ですけどね。

 

あ、カバンですが、結局午後から買いに出て、ちゃんとゲットしてきました(^^)b

今日の不機嫌さはどうも寝不足が原因だったようです。二度寝したら落ち着いてました。

 

ま、そんな日もありますよ。